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中央銀行

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銀行は、その昔、庶民のお金を預けておく場所として機能していた。預かり証をもっていけば、金と交換していくれていた。しかし、今となっては、金商品のお店で金を買えばいいじゃないかということだったとすると、なんのために銀行があるのだろうか。とサブプライム、リーマンショック以降に人々が考え始めた。ふつうに街にある銀行を市中銀行といってお金を送金したりローンをしたりする。ローンを誰にどのくらいするかという機能を与信といい、その機能はなかなかプロの世界かとおもう。でも金をベースにしていない紙の預かり証をもっていても、あまり意味がないのなら、国債そのものを皆でもっていればいいではないかと思う。日本銀行券を無利子で持っている人に、日本国券を無利子でもつのと、日本国券でクーポン(金利)がつくのをもっているのとでは、選択肢があれば、後者を選ぶのではないだろうか。その場合、しかし、唯一の問題は政府の支出の歯止めをかける人がいるのかということだが。とはいえ、国債を発行して日銀券を新規調達している現状では、既にその心配は意味がないわけであるし。

警察も自衛隊もその国債の価値をまもるために出動することができるだろうけれども、中央銀行の預かり証の価値を守る人はだれなのか、よくわからない。ちなみに、硬貨は日本国とかいてあって、銅やアルミニウム、ニッケルなど、最終的には何かにはつかえるはずで、それなりにユーティリティーがあるのだから、それなりに流通してもいいとおもう。ただし、高額の硬貨を、例えば金貨のようなものを、少ない金で発行したりすると、不思議なことがおこるようになる。金の価格はイギリスの中央銀行が売り終わった2000年以降、またサブプライム危機もあり、上昇していったので、日本の不思議な現象の一つは、あるいみ、取り急ぎは問題ではなくなったともいえるが、問題の本質は自覚はすべきとおもう。

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